自我境界について

 

相手から期待した反応や行動がない時に、不満や怒り、動揺や虚しさなど、

感情的な自分をコントロールできずに心身が疲弊してしまうのは何故か・・・

 

相手が思うように動かず、期待に反して、残念だ、悲しい、と一旦落胆しても、

でも、しょうがない、人は人、と引きずらず、次に気持ちを向けることも可能である。


そうできないのは、相手と一体化して、同調、融合が崩れるダメージが大きいため、

つまり、期待に反した相手の反応は、自分自身へのダイレクトな苦痛となりやすい。

 

単に親密で期待が大きい、というだけでなく、相手のことは私のこと、という一体化、

自他の境界が薄い、曖昧な状態で、別の主体の独自な反応、という距離感がない状態。

 

言ってみれば、自分の体の一部が思ったように動かせないことに苛立つようなもの。

さらには、こちらの意図に反したり、無視する反応に、恨みや憎しみまでも生じる。

 

人間関係が相補的に形成されやすいと考えると、自我境界が脆弱な人は対称的に、

自我が一見しっかりした常識のある人と関係を深めやすいといえそうだが・・・・

 

実は、相手は他人との距離感が遠く、共感性も低い孤立的マイペース型であったり・・

いずれにせよ、両者、自我の柔軟性や統合性という点では未成熟なのであろう。

 

素質的には、ミラーニューロン等の神経生理学的な基礎の違いもあるかもしれない。

 

現代の人間関係の諸問題の背景に、こうした自我境界のあり方の違いが推察される。

 

自己理解、他者理解の重要な視点であり、人間関係問題の改善の切り口となるもの。